誰かの為のブログ

映画や本の感想をだらりだらりとマイペースに書いていきます。

【感想】考えることを、行動することをやめない。堀江貴文 「ゼロ ー なにもない自分に小さなイチを足していく」

 堀江貴文氏の「ゼロ ー なにもない自分に小さなイチを足していく」をいまさらながら読み終えたので感想を残します。

 

 第一に俺は堀江貴文という人物に対して何も知らないまま殆ど先入観で、いいとこのおぼっちゃまと考えていました。しかし第一章で紹介されていた堀江氏の小学校時代を含めた学生生活はけっして煌びやかなものではなく、彼は少しばかり歪な家庭に育ったどこにでもいる少年であったことに衝撃を受けました。一時期カリスマ的な存在であった彼は、やはり英才教育を受け、カリスマ的な学生生活を送ってきたのだろうと何の根拠も無く思っていた俺は反省しました。

 

 読み進めるほどに堀江氏が努力の人であったことが伝わってきます。中学生の頃興味を持ったコンピュータ・プログラミングの世界により深く立ち入るため、新聞配達のバイトをしていたというエピソードが載っています。彼は新聞配達という中学生にとっては肉体的にもつらい労働をすることで20万円のコンピュータを購入します。そのとき彼が抱いた感想は「あれだけ頑張って、たったこれだけか」という落胆だったそうです。俺も月に一度は自分の労働に対して落胆しています。売り上げが良かろうと悪かろうと月給は固定されています。残業の多い月であれば多少増えもしますが、微々たる物です。俺の感覚を彼は13歳のときにすでに感じていたのです。

 

 彼が本当の意味で働く意味を実感できたのは、身に付けたプログラミングの技術で誰かの助けになり、そして報酬を貰ったときだそうです。そのとき彼は14歳。周囲がまだアルバイトすらしていないであろう時期、堀江氏は自分の力で稼いでいたという事実に驚愕すると同時に、今の自分が情けなく感じました。何のために働くのか俺は履き違えていました。

 

 残念ながら今の俺はお金が欲しくて働いています。あまりに受動的な態度で我慢して仕事をしています。そして堀江氏の言葉を借りるなら「我慢と引き換えに受け取る対価」として給料を考えていました。そしてその給料は俺の労働に対して払われているのではなく、費やした時間に対して払われているのだと知りました。時間をお金に変えているだけだったのです。「お金」と「仕事」について認識を改めなければならないと感じました。

 

 何のために働くのか。堀江氏曰く、自由になるために働くのです。働くことを我慢することと考えているうちはこのような考えには決して至らないでしょう。俺にとって我慢は自由の対極の存在です。それは俺にとってまだ仕事が我慢を要する物ということです。もっと自由に生きたいと思いながらも我慢しながら仕事をする不自由な人生。時代や環境のせいにする思考停止。このままでは俺は考えることをやめ、週末のわずかな時間に感じるわずかな自由にしがみつくだけの人生を送ることになってしまう。それは絶対にいやです。自分の人生に大きな責任を背負っても、それに見合うだけの自由を手に入れたい。

 

 この本は、俺に働くということ、お金のこと、自由のことを、人生のことを考えるきっかけをくれました。考えるだけなら誰にでもできます。考えた上で行動に移す。もちろん行動には責任が伴います。ですが、その責任の大きさは自由に大きさそのものです。失敗したって「ゼロ」に戻るだけです。考えること・行動することをやめなければ、小さなイチを足し続ければ、絶対に自由になれるはずです。堀江さん、ありがとうございました。

 

きちんと気持ちを言葉にしていますか?

最近自分の気持ちをきちんと相手に伝えられたという方はいらっしゃいますか?

このブログを読んでいる人がいるかどうかすら怪しいですが、質問です。

 

 俺は昨日の夜、思わずというかなかば確信犯的に気持ちを伝えてしまいました。「伝えてしまった」と書くと、少し語弊がありますがとても自然に言葉が出てきた感じでした。その感覚を誰かと共有したくて、いまブログを書いています。

 

 俺の突然の言葉に相手はきょとんとしていた様子でしたが、俺自身は相手の反応はあまり気になりませんでした。つまり俺は、俺の言葉や気持ちに対して相手から何かしらレスポンスが欲しくて伝えたのではなく、ただ単に伝えること自体、言葉にして相手へ投げること自体が目的になっていたのだと思います。

 

 もしかすると相手からしたら迷惑だったかもしれません。逆に嫌われてしまったかもしれません。でもそれでもいいです。俺は彼女を「水飲み場」に連れて行きました。水を飲むかどうかは彼女次第で、俺の問題ではないです。そして気が付いたのは「気持ちを素直に伝えるというのは気持ちがいい」ということ。

 

 きちんと気持ちは伝わっていないかもしれない。真意は受け取られていないかもしれない。ただ聞き流されているかもしれない。それでも独りよがりでも、言葉にして相手に伝えようとするその行動そのものが心地よかったです。

 

 こんな感覚が久しぶりだったので誰かと共有したくなりました。読んでいる人がいるとも思えませんが、念のため。

ほうれん草。おいしいよ

俺はほうれんそうがへたくそだ。

失礼、報連相のことだ。

どうもうまくいかない。ちょっとタイミングを逃したからまた後で言おうと思うともうだめだ。

やはり明日やろうは馬鹿野郎なのである。

反省。

でもどこまでも細かく報告していたらきりが無い。

いい塩梅って難しい。

社会人って大変。

みんなすごい。

文章を書くということ

文章を書くのはとても難しい。

書きたいテーマや、何を伝えたいか考えながらそれを言葉にする。

言葉にするだけでは不十分で相手にきちんと伝わらなければ意味が無い。

伝えたいことを伝わる言葉にする。

伝えたい内容はこの際横に置いておくとして、伝える技術を身に付けよう。

そのためにも文章を書く習慣を付けよう。

そして書くだけでなく、本をたくさん読もう。

インプットとアウトプット。入れて出して、入れて出して。

 

前回の内容とかぶっているけど、やっぱり大切なので何度も言います。

小さな習慣を続けよう。

 

何かを書くということとか

文章がうまくなりたい。

散文的な内容ではなく。

論理的な内容であったり、有益な情報であったり、自分の主張であったり。

伝えたいことや考えたことを言葉にするのは難しい。

まずは文章を書く習慣を身に付ける。

少なくてもどういった形でも毎日書く。

 

小さな習慣のこととか

人生においてたくさんしたいことがある。

 

文章を書きたい。

たくさん本を読みたい。

レザークラフトで生計を立てたい。

プログラミングを学びたい。

Webデザインを勉強したい。

運動する習慣をつけたい。

バカンスを取れる仕事がしたい。

 

ゴールはたくさんある。

それぞれの目標を小さくしてみる。ばかばかしいほどに小さくする。

腕立てを一日一回する。

本を一日2ページ読む。

50文字は文章を書く。

 

これだけ一日の目標を小さくすれば達成しないということが逆に難しいし、

こんなに簡単な目標ならモチベーションも、強い意志も関係ない。

歯を磨くのと同じぐらいほとんど無意識に、意志の力を使わずに開始できるし、

毎日続けることができる。

 

目標は小さくていい。コツコツと。気がつけば大きな何かを達成できているはず。

 

明日死ぬかもしれないということ

明日死ぬつもりで生きる。

そうすれば今日あった嫌なことも、辛いことも少し軽くなるような気がする。

そのつもりで今日を精一杯生きる。

それとも明日死ぬから今日頑張っても何もならないと考えるか。

「明日死ぬと思って仕事しろ」と先輩は教えてくれたが、明日死ぬのなら今日俺は仕事を辞める。