誰かの為のブログ

映画や本の感想をだらりだらりとマイペースに書いていきます。

【感想】頭使って考えよう、自分の人生だもの 吉田源三郎「君たちはどう生きるか」

「働き方」が叫ばれるようになった昨今ですが、この場を借りて自分でも考えていきます。

 

 漫画「君たちはどう生きるか」が注目を浴びています。原作は吉野源三郎氏の同名小説「君たちはどう生きるか」ですが、こちらの作品は1937年に出版されています。今から80年も前の小説がなぜ今脚光を浴びているのでしょうか。その理由を考えてみます。

 

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【日記】好きなことがお金になる…かも 

10月半ばからランサーズでクラウドワーキングに挑戦しています。

3週間ほどで2000円に満たない報酬ですが、ネットでお金を稼ぐというのがどんなものか体験してみたくて始めました。

 

自給で換算すると報酬はかなり低いです。それでも達成感がありました。なぜでしょう。一週間で700円も稼いでいないのに何に達成感を感じたのか、考えてみます。

 

 web上というのが要因のひとつだと思います。これまで「働く」というのは、仕事に適した服装をして、就業時間までに職場につき、定時まで働き、残業をして、というのが俺の中でイメージとしてありました。それがwebでは通勤もタイムカードも残業もありません。好きなときに好きなだけ仕事ができます。それなのにお金が稼げる。恐る恐る踏み入れた世界でしたが、とても革命的でした。

 

 もうひとつは「自分がしたいこと」が誰かに価値を認められた上で、報酬が払われたからだと思います。普段、承認欲求は俺自身あまり感じませんが、知らない誰かが俺の文章に価値を付けて報酬をくれるという点に感動しました。

 

web上でお金を得たということ、自分の文章に価値が付いたということのふたつに俺は達成感を感じました。

 

 まだまだ稼ぐ段階には程遠いです。そして文章を書くというのはとても難しいです。ですが、書くことで誰かに何かが伝われば素敵なことだし、自分の内面と向き合う良い機会になります。未熟な文章しか書けませんが、毎日コツコツと磨きをかけていきたいです。

【日記】きっとうんざりした顔してご不在連絡票をぶち込むのだろう。

 20時半頃帰宅すると郵便受けに不在連絡票が入っていました。見ると訪問時間は18時半頃に来た様子。彼だか彼女だか分からないけど、申し訳ない気持ちになりました。というのも、つい先日も二度にわたり不在連絡票が入っていたから。「こいついつもいないじゃん」と思われているかもしれません。申し訳ないなぁなんて思いながらweb上で再配達の依頼しました。「もしかしたらまだ帰っていないかも」なんて思いながら明日の19時から21時を指定。19時だと確実にまだ帰っていないのですが、水曜日は上司が「自主的に」ノー残業デーなので、俺もしれっと帰ろうと思います。

 

 話を戻して、再配達についてです。時折平日の12時頃に配達に来た様子がありますが、本当に受け取ってもらえると思って配達に来ているのでしょうか。確かにこちらの世帯構成なんて向こうは知ったこっちゃないと思います。それでも何度か来ていたらなんとなく分かってくるものではないのでしょうか。一日の配達量が多すぎて覚えていられないのかもしれません。ごめんなさい。

 

 そんな俺は最近コンビニ受け取りにしています。それなら配達の人も一度で済むし、こちらも時間を気にしなくていい。コンビニの店員さんにとっては余計な仕事が増えるだけかもしれないですが、そのたびにプリン買うので許して下さい。ただヤマトだとそれができるんですけど、郵便だとできないんですね。なので、配達員さんのためにも明日はさっさと仕事を終わらせて、帰ります。

【日記】絶望溢れる会議室。俺たちを導くリーダーの一言!

「今日の会議ってなんのため?」週に一度、月に一度。どれくらいの頻度で行われているかわかりませんが、企業に勤める方なら感じたことがあると思います。俺も感じております。

 

 俺の会社の会議では今後の動向、数字の進捗、ライバル状況、ユーザー状況など情報の共有を目的としています。自分がどんな案件を抱えているが、トラブルの種は無いか、どうすれば提案が受け入れられるかなどなど。ですが、今日の会議は少し違いました。今期も半分が終わり下期の数字の予想を立てるのですが、出てきたのは逆立ちしたって届きそうに無い数字です。残りの数字が次第に明らかになるにつれ、会議室には絶望が満ちていきます。この数字をどう埋めるか。それが今日の会議の議題だったはずです。

 

 絶望に満ちた会議室はただただ沈黙していました。「コツコツ頑張ろう」ボソッとリーダーが言います。「ですね」この一言で会議は終わってしまいました。まさかの展開に俺は唖然としましたが、実際にあの数字を今後どうやって埋めるか誰にも思いつかないでしょう。仕方なかったのかもしれません。現状の把握。結果からして今回の会議の目的は「現状の把握」だったようです。おそらく「今後の対策」に関する会議はされないと思います。「今後の数字に関する会議」を行ったことに満足してしまい、次回からはまた普段どおり情報共有がメインになると思います。

 

 虚しさを感じながら21時過ぎまで仕事をして帰りました。

【感想】ハードルなんて地中に埋めてしまえ! スティーヴン・ガイズ 「小さな習慣」

 早起きや筋トレ、ブログを続けるなど人はいろいろな事を生活の中に習慣として取り入れようとします。それは理想とする自分に近づくためだったり、目標の達成のためだったり様々ですが、同時にそれらの習慣が身に付かず挫折してしまった人も多いのではないでしょうか。俺も新年を迎える度に今年こそはと意気込みますが、身に付いた覚えがありません。この「小さな習慣」では挫折をさせることなく、習慣を身に付けるための方法を紹介しています。

 

 その方法とは「目標をばかばかしいくらい小さくする」という内容です。例えば筋トレでいえば、「一日に腕立て伏せを一回する」といったように。たった一回の腕立て伏せに何の意味があるのかと思われる方は多くいると思います。私もそう思います。ですが、小さな習慣ではそれでいいのです。本書の中で筆者は習慣を「あまりにも簡単すぎて、しないよりする方がよい行動」と定義しています。その上で小さな習慣に「腕立て伏せ一回するぐらいならついでに10回しようか」と、目標の「1回」とおまけの「9回」を期待します。目標の1回は達成しているので、そこで終えても良いのですがせっかく始めたんだからという「おまけ」を狙っているのです。

 

 なんにしたって取り掛かるまでが一番憂鬱です。この記事を書いているのは日曜日の21時過ぎで、明日からの仕事を考えるととても憂鬱です。仕事への憂鬱にこの小さな習慣が応用できるか疑問ですが、筋トレ程度になら効果もありそうなので俺も1日1回腹筋をする、本を2ページ読む、文章を50文字書くことを目標にして取り組んでいます。小さな積み重ねがここよりもはるか先へ連れて行ってくれることを願いながら、今から腹筋鍛えてきます。

【感想】新年の誓いは、駅の構内に。 ライアン・クーグラー 「フルートベール駅で」

 2009年元旦、フルートベール駅でオスカーは殺されてしまいました。俺にはこの駅がどこにあるのかも知りません。当時そんな事件があったことさえも知りませんでした。

 

 彼が射殺されるまでの一日を描いた85分間の「フルートベール駅で」はストーリーもなにもなく、おそらくあちらの社会ではどこでも見られる光景なのでしょう。刑務所へ服役していた過去を持ち、職場を首になり、やむなく売人となる。娘にはきちんとした教育を受けさせたい彼にはお金が必要でした。映画は淡々と彼の大晦日を映し出します。パートナーに首になったことを告白し、母親の誕生日を祝い、年越しの瞬間は仲間たちと祝う。どこにでもある風景だと思います。ですが、彼はフルートベール駅で警官に撃たれ、その日のうちに亡くなってしまいます。突然に。

 

 俺は感想を持ちえませんでした。かわいそうだとか、ひどい警官だとか、アメリカ社会の人種差別に対する憤りだとか。そんなことは一切感じませんでした。この映画を見終わった後、俺の中に残ったのは一体なんだったのでしょうか。その形が見えてきません。もやもやした不定形の感情だけが残っています。でもきっと明日には忘れているのでしょう。物事の大きさにかかわらず人は少なからず忘れることで生きていきます。自分のことでないならなおさらそうです。

 

 彼の事件はこうして映画になることで世界的にも広く知られることになったと思います。こうした理不尽な出来事は世界のあちらこちらで起きているはずです。忘れていいはずはない出来事ですが、自分とは文化的にも地理的にも遠い世界で起きたこの出来事は、恐らく明日からの大したことのない日常に埋もれていきます。できれば忘れたくありません。ですが、きっと思い出さなくなります。それでも1つ心の中に残っているのはオスカーの母親役の女性の毅然とした態度でした。彼女自身差別や偏見に晒されながら生きてきたのではないでしょうか。彼女の人生にクローズアップした映画ではないものの、どことなくその人生が垣間見られる映画でした。

 

 また文化の違いでしょうが、頻繁に「愛している」とお互いに伝えあうシーンが見られます。彼らにとっては挨拶程度なのかもしれませんが、素直にその言葉が出てくるのであれば、素敵だなと感じました。

 

【感想】覚悟とは、暗闇の荒野に進むべき道を切り開くことだ。岸見一郎 古賀史健「嫌われる勇気」

過去に何度も読んだのですが、改めて感想を書きます。

 俺が初めて「嫌われる勇気」を読んだのは就活生の頃でした。いまから3年ほど前です。大して就きたい仕事があったわけでもなく、ただ単に大企業というだけでエントリーシートを提出してなんとなく面接へ漕ぎ着けた企業がありました。面接に際してもう一度履歴書の提出が必要となり、そこには「最近感銘を受けた本はありますか」という設問があり、私は急ぎ図書館へ向いました。そこで借りたのが「嫌われる勇気」でした。

 

 青年と哲人の対話形式でアドラー心理学を解説している本書はとても読みやすく、思い悩む青年の姿は当時の自分にだぶっていたように思います。実際彼が悩んでいる内容はまさに俺自身が感じていることそのものでした。今での彼の姿は俺に似ています。

 

 「可能性の中に生きているうちは、自分を変えることはできない」このフレーズは今も俺の胸に突き刺さったままの言葉です。あの時あぁしていれば、あれさえなければ、これさえできれば、おれの人生は180度変わっていたのに。そう思うことがたくさんありました。変えられない過去にいつまでも思いを馳せる。どうしようもないことに胸を痛め、目の前のことを疎かにしてしまう。悪いあの人と、かわいそうな俺。就職活動に臨む時期になっても俺は自分の将来にしっかりと向き合おうとしませんでした。結局殆ど教授のコネで大して興味も無い業界に私は就職することになりました。この時私は本書をただの就職活動のネタとしてしか見ておらず、著者である岸見氏、古賀氏の思いをそしてアドラーの思想を汲み取ろうとする努力すらしていませんでした。

 

 ただなんとなく始まった社会人人生。何の面白みも感じぬまま時間だけが過ぎていきます。休みも少なかったこともあり休日の私は殆ど無気力に狭い部屋で過ごすだけの生活を送っていました。再び本書を手にしたのはいつだったでしょうか。忘れてしまいましたが、気が付けばまた読み返していました。他人との関わり方や、人生でなすべきこと、それに向う態度。人には誰しも劣等感があります。しかしそれ自体は悪い物ではなく、むしろよりよく成長したいという感情の表れだと本書の中では説明されています。心の中にいつまでも劣等感を抱えたままでは人は生きていけません。劣等感を解消するためにも努力をし、理想とする自分に近づこうとするのです。しかし人間みんながみんな努力ができるわけではありません。そうした人たちは劣等感を傘に自分を特別な人間に仕立て上げます。お前に俺の気持ちは分からないだろう、誰にだって俺の気持ちは理解はできないんだと安直な形で自分を特別な存在にし、劣等感を払拭しようとします。誰にだって思い当たる節はあると思います。ですが人間そんなことでは何も進歩しません。

 

 本書は生きる覚悟を説いています。ただただ目の前に広がる人生の荒野に、傷つくことを恐れず一歩踏み出していく。見つめるべき相手は理想の自分。比べるべき相手は昨日の自分。周囲の人に何を言われたって自分のしたいことをひたすらすべきなのだと。ひたすらにダンスを踊り続ければ、気が付いたときにはとんでもないところまで、かつて理想としていた自分になれているはずです。

 

 取り留めなく書いてきましたが俺自身今の状況に、現状に満足していません。満足している人なんていないのかもしれませんが。それでもこうして文章を書いている間は少しずつ理想の自分に近づけているような気がします。

 

 今の自分に「嫌われる勇気」があるかと言われれば、自信はありません。ですが、以前より周囲の目は気にならなくなったと思います。自分のしたいことをとことんする。納得するにはそれしかないです。